制度の選択、あるいは暫定的な終止符
迷いに迷っていた現行NISAと、つみたてNISAの不毛な戦いに、ようやく終止符を打つ時が来た。結論から言えば、私は現行NISAでの運用を継続することを選択した。国家が推奨する「ひらがな」の甘い誘惑を振り切り、あえて旧来の戦場に留まることに決めたのだ。
ドルという名の現物への執着
最大の理由は、米国ETFという資産クラスを継続して買い付けたいという、投資家としての本能にある。昨今、楽天全米インデックス・ファンドのような洗練された投資信託が登場し、その利便性に惹かれていたことは否定しない。しかし、私は依然として、ドルという通貨そのものを手元に置いておきたい。円という単一通貨のバスケットに全ての卵を盛るリスクを、私はまだ許容できていないらしい。
分配金という名の精神安定剤
また、分配金が定期的にキャッシュとして吐き出されることも、重要な判断材料となった。再投資による効率性を追求するのが合理性の極致であることは理解している。しかし、荒れ狂う市場において、定期的に口座に振り込まれるドルは、投資家の摩耗した精神を癒やす、ささやかな、だが確実な報酬となる。それを「心の支え」と呼ぶのはいささか情緒的すぎるだろうか。いや、長く市場に居続けるためのコストと考えれば、これもまた一つの合理的な判断と言えるはずだ。
退屈という名の最大のリスク
そして何より、インデックスファンドの積み立てだけに投資活動を集約してしまったら、私はあまりの暇さに耐えられなくなるだろう。投資家にとって、何もしないことが正解である時間は多い。しかし、完全に思考を停止し、自動引き落としの通知を眺めるだけの人生は、私にとっては少しばかり味気ない。市場に指先を浸し、自らの意思で買い付ける。その能動的なプロセスこそが、私が投資を続ける動機の一つなのだ。
暫定的な停戦、あるいは次なる検討
もちろん、これが永遠の決定だとは思っていない。国がつみたてNISAを強力に推進している以上、いつかはその軍門に降らねばならない日が来るかもしれない。もし心に迷いが生じれば、その時は来年、また計算機を叩き直せば良いだけの話だ。私は、このまま現行NISAという名の戦場で、自らの規律に従ってドルを積み上げていくことにする。