【年末資産チェック】家という固定資産はムダか?新NISAと米国ETF移行5年計画の現実
年末の資産チェック。この一年、私の銀行口座から流動性という名の自由が、音を立てて消え去っていった。原因は明白だ。不動産、いわゆるマイホームという名の巨大な固定資産に魂(と現金)を売ったからだ。
世間では家は資産などと甘い言葉が囁かれるが、数字を直視すればそれが単なる幻想であることは、算数ができる人間なら誰でもわかる。
今回は、この固定資産という名の贅沢な足枷と、それを取り戻すための新NISA・米国ETF移行5年計画という名の、あまりにも地味な贖罪について綴る。
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マイホームは投資か、それともただの高級な趣味か
家を建てた。結果、私の流動資産は干上がった。
当たり前だ。固定資産とは、換金性を生贄に捧げて生活満足度という、数値化不能で実体のないリターンを得るための装置なのだから。
資産運用という冷徹な視点で見れば、そのスペックは悲惨なものだ。
- インカムゲイン: ゼロ(むしろ固定資産税と修繕積立金でマイナス)
- 流動性: 絶望的(今日売りたいと思っても、現金化されるのは半年後だ)
- 維持コスト: 際限なし
投資効率だけで言えば、これを合理的と呼ぶにはかなりの無理がある。
だが、世の投資家たちが忘れがちなのが非経済的リターンだ。快適なリビング、誰にも文句を言われない壁、維持費がかかるだけの庭。これらは確かに存在する。
問題は、これを投資と呼んで自分を欺くことだ。家は投資ではない。極めて高価で、維持費のかかる消費である。
私は、合理性を自称しながら、最大級の非合理に大金を投じた自分を、せめてこのブログでだけは自虐的に笑っておくことにする。
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新NISAという名の、国家が用意したささやかな救済
2024年に始まった新NISA。
年間投資枠360万円、生涯非課税枠1,800万円。
これは、私のような家という名の負債(失礼、資産だったな)を抱えた人間にとって、唯一の光明だ。
私はすでに米国ETFを主力に据えている。
理由は、あまりにも単純で、ひねりがない。
- 非課税の複利効果という、数学的な暴力
- 長期投資と相性の良い、米国株の成長性
- 配当も売却益も、国に持っていかれないという全能感
特にS&P500や全世界株式(オルカン)などの米国ETFは、もはや宗教に近い安心感がある。
だが、この制度には枠は使い切らなければ消えるという、我々のようなケチな人間に焦りを強いる設計が施されている。
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5年かかるという呪い|360万円の壁
さて、ここからが現実だ。
特定口座に鎮座している含み益たっぷりの資産を、一刻も早く新NISAという聖域へ移したい。しかし、そこには年間360万円という、物理的な、あまりにも物理的な壁が立ちはだかる。
計算すれば、移行完了まで最短で5年。
この5年という数字は、どんなに知恵を絞っても、どんなに念じても短縮できない。
特定口座で税金を払ってでも、今すぐ全部売って新NISAへ……という誘惑に駆られることもあるが、それは本末転倒というものだ。
税金を最小化するためにNISAを使うのに、NISAのために余計な税金を払うなど、笑えないジョークでしかない。
この5年という待機時間は、ある意味で私の過去の投資判断(含み益)に対する報いのようなものだ。
制度の限界を受け入れ、淡々と枠を埋めていく。その地味な作業こそが、投資の本質だと言える。
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結論|年末チェックという名の、自己批判の儀式
家は投資効率ではゴミ同然だが、人生の満足度という点では、もしかしたら買いだったのかもしれない。そう思わないとやっていられない、というのが本音だが。
一方で、新NISAは合理的だが、万能薬ではない。
資産運用とは、結局のところ、
1. 制度のルールを熟読し
2. 自分の非合理な支出(マイホームとか)を認め
3. 残された枠組みの中で淡々と最適化を続ける
という、およそ華やかさとは無縁の行為だ。
年末の資産チェックとは、自分が犯した非合理をあぶり出し、数字という名の冷水で頭を冷やす儀式だ。
感情で家を買い、数字でそれを後悔し、制度でそれを補填する。
それが、私という投資家の、あまりにも人間くさい現実である。